アメタマのたまり場

アメタマが思い立ったら書くブログ

8月27日の妄執

私は8月27日にライブへ行った。

 

規模からすれば200人程度の収容のライブハウスで

大きいとは言えないが、決して小さくもない。そんな規模のライブ。

 

そこでライブを演じたのが水槽というアーティスト。

私がいつも聞いている曲を書いて、歌っているその本人だ。

 

ライブチケットもとても軽い気持ちで買ったし、

ライブ当日もとても軽い気持ちで参加した。

 

チケットの購入は軽い気持ちと言いながら、チケット購入画面に張り付いていたし、

ライブ当日もこういう服なら気分も上がるしと柄にもなく古着屋でシャツを買ったりした。

 

当日は15時から物販で、

どうしても欲しいものがあったから早めにと思ったが、

いつもぎりぎりで行動している人間がそんなことができるはずもなく。

その日は15分くらい前に待機列に並んだ。

 

もうついている人いるのか、とか

こういうところで交流の輪を広げたり、とか

SNSを見ているとそういう気持ちにさせられるが、現着して無理だと思った。

 

そういうものって見ているときだけ忘れるんだなと。

僕は人に話しかけるのとかすごく苦手だよな。

結局ネットでしか饒舌になれないネット弁慶

 

物販もその時が来るまで待った。

事前に今回のコンセプトアルバム「夜天邂逅」に加えて、

「首都雑踏」「事後承継」も聴いておいてとお達しがあったので

ミックスプレイリストでランダムに聴いていた。

 

物販の待機は思った以上に待たなかった(気がする)。

音楽を聴いていたからか、本を読んでいたからか。

15分が思っている以上に短いからかもしれない。

 

いずれにしろ物販の時間になって、

解放されたWALE&WALEのエントランスへ入る。

その時に一番感じたのはカビ臭さである。

 

おそらくコンクリ建築特有のものであるが、

地下施設なので換気がしづらい環境であることと

空調と外気による寒暖差で水滴がついてそうなるのだろう。

 

煤けたカビ臭いにおいはアングラ感がすごくて好きだ。

そう思いながら何を買おうかスマホを取り出し考える。

本当は前日に何を買うかはまとめている。

事前に物販情報はSNSに提供されている。

 

会場で売っていると思っていなかったほしいTシャツもあったけれど、

Tシャツがこれ以上増えるとTシャツ屋さんになってしまうのでやめておいた。

少し前にシャツとTシャツを買ったばっかなんだ。

 

シガレットケースは売り切れとTwitter(X)で見たので少し自慢したい気分で。

タバコ吸わないのに。

Tシャツもステッカーも自慢できる相手もいないが。

でもうれしいことは確か。

それが確かめたいだけ。

 

その後はライブまで時間があるから、

気になっていたジンを提供する店へ。

少し離れたところにあったけど前々から行こうと思ってたし。

ノンアルのジントニックを一杯。

 

ライブは18時、入場は17時。

チケットは番号順の入場だった。

途中まで知らなかったけど、スタッフさんに聞いたら教えてくれた。

優しい。ありがとう。

 

ドリチケとか初めてだったけどそんなことを気にする余裕もなかった。

一円玉くらいのプラスチックトークンだった気がする。

 

荷物ロッカーもあったけど僕のリュックは入らなかった。

降る予定と聞いた雨は降らなくて、持ってきた折り畳み傘は邪魔になっただけだった。

ドリチケと交換でもらったジンソーダもそう。

グラスで提供だから邪魔になる。

ライブが始まる前に飲み干した。

 

僕は会場の中央付近に陣取っていたがステージがよく見えた。

まだライブの始まっていない会場は半そででは少し寒かった。

照明は暖色で、ステージ横の2台の八連スピーカーとか頭上の証明や空調設備とか、会場の構造とか。

そわそわしてたから何でも見た。

 

ステージに表示されている「ENCOUNTER」のロゴを見ていると不安になる。

僕がステージをやるわけでもないのに。

周りを見ても誰かと来ている人がとても目について。

待機列でもそうだった。

 

一人じゃ居づらい場所な気がしていた。

早く始まらないかな。

会場のアナウンスで右後方詰めてってというのも覚えている。

憶えている、憶えている。

 

ライブが始まった。

コンセプトアルバムは全9曲。

それぞれの曲にキャラクターがいて、

その人たちの人生を描写するような曲。

 

それに加えて今まで水槽の作った曲が9曲。

今回のコンセプトアルバムの曲の合間にキャラクターがその曲を聴いているという設定で歌っていた。

 

コンセプトアルバム曲に入る前には、

そのキャラクターの考えや心境を語る数行の文章が雑踏の音と一緒に表示された。

 

多くは憶えてないけれど、

イントロは終わりの「何者かにならないと」

ブルーノートの「嫌いになった訳じゃない。無理になっただけ。そのうちまた好きになるかも。」

極東よりの「何にも考えてなさそーって言われるけど、何にも考えてない奴なんていないよ。」

という言葉は憶えている。

 

自分に突き刺さったからだろう。

 

ライブではジャンプまではしなかった。

足首を使って上下したり手を振ったりはしたが。

柄にもなく調子に乗って全身で楽しみながら、周りに迷惑なんじゃないかとか考えてたんだけど。

背高いと後ろの人見づらいだろうなとか、

途中まで考えてたけどやめた。

 

なんでかは憶えてない。

ライブがよくてかもしれないし、チケットの番号のことを考えてたかもしれない。

 

ライブで流れた曲は18曲。

僕がその中でも好きなのは

・夜天邂逅

・NIGHTOWL

・呼吸率

・極東より

・タクシージャック

・ハートエンド

・遠くならせ

 

本当は全部好きなんだけど。

それぞれにいいなって思ったところはあるけど。

絞り込むのにさんざん悩んだけど。

 

じゃあ、なんで選ばなきゃいけないんだろう。

僕が選んだ曲に何か共通する何かがあるかもしれないからこのまま残しておく。

未来の僕のために残しておく。

 

ライブ会場は空調が効いていたはずなのに熱かった。

機材の熱気によるものか、会場の人の熱気か。

僕も類にもれず熱気をまとっていた。

 

しっとりとした曲も盛り上がる曲も

その場にいる全員が知っていて、その場にいる全員で楽しんだ。

少なくとも僕はそう思う。

 

歌い方は劇を演じているように感じて、

ステージをやっているみたいだった。

 

最後の曲、「ハートエンド」「遠くならせ」が終わった後、

少し間が開いた。

 

おそらくアンコール待ちなのだろうと思った。

僕はそれがなぜか嫌だった。

求められているものが見え透いて抵抗感があった。

今思えば幼稚だなと自分の行動を少し反省する。

 

とにかくその時は声を出してアンコールはできなかった。

アンコールのコールを空気を察して、勇気を振り絞ってできた人間は

水槽のライブじゃなくてもいいと思うよ。

そんな捨て台詞を今考えた。

 

自分にできないことができる人はどうにも受け入れがたい。

大抵の人間そうじゃないかと僕に吐き捨てる人にはヘッドバットをお見舞いしてやろうと思う。

思うだけ。

吐き捨てるだけだから許してくれ。

 

アンコールで出てきた水槽は

「この曲はバンドでやりたい曲」

といったので、バンドが出てくると期待したが

はにかんだような笑いで訂正する。

 

「やりたかった曲だ」

わかりやすく言い直したが

本当は今でもバンドでやりたい曲なんじゃないか。

そう思う。

 

水槽は打ち込み音源で音楽を作っている。

そんな人間が「私はバンドが好きなんだけど。打ち込みで音楽を一人で作ってて。みんなにはあんまり違いがわからないかもしれないけど。で、私にはバンドでやる人生もあった。選べたけど一人でやることを選んだ。」

という言葉の重み。

 

アンコール曲「白旗」

 

降伏を意味するこの二文字を掲げながら音楽で表現していく。

その気持ちは何もない僕にはわからない。

わからないけれどとても良い曲で、

良いライブで、

良い夜だった。

 

終わった後は外へ出て、

渋谷まで行って飲もうと思ってた。

 

都心は案外近いから歩くことも結構ある。

その日も自らの熱を冷ますように歩いて渋谷へ行った。

 

 

ライブ終わりからいまだに心が返ってきているように思えない。

渋谷で飲めなくて、

地元で何件か回って、

カラオケに行って一人で歌って。

 

次の日も

飲んで、

歌って。

起きて。

寝て。

起きて。

 

未だに僕の心は物足りなさをおぼえる。

 

テーマパークにあるゲートは現実に帰るという区切りの意味もあるという。

ゲートを通っていないからだろうか。

 

その街に生きていない僕が現実に帰ってくるのは地元の駅なのに。

ついても現実に帰れない。

飲んでも現実へ帰れない。

家に帰っても。

シャワーを浴びても。

布団に入っても。

一向に帰れない。

 

取り残された心を探して、

今日も8月27日の妄執に取りつかれて

 

補足:

私は水槽さんは好きだけど嫌いだ

理由はたぶん妬み嫉み

何かをやっている人ってかっこいい

それで結果を出している人はもっと

そんな人と何もやっていない自分を比べてしまう

この前「水槽さんは推しじゃないの?」

と聞かれることがあった

私の中では推しではない

だって推しには嫉妬なんてしないでしょ

推し方には人それぞれあるのかもしれないけれど

私はこんな風に思って推しているとは言えない

だから好きで嫌い

自分で何か表現をしていく中で

一緒に仕事ができる機会があればうれしいとは思う

だから私は

なにかを望んで

今後も泥臭くても恥ずかしくても

なにか表現していきたいと思う

 

以上妄執から脱した人間の戯言