アメタマのたまり場

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家族について:補記

前回書いた「家族について」を書き終えたが、

もやもやした気持ちが収まらずこれを書く

 

 

私は「家族」に対して疑問に思うことがある

 

私は家族仲が悪い方ではない

 

だからといって決していいとは言えない

 

お互い深くかかわらないからこそ、仲が悪くなっていない

(良くなってもいないが)

 

だからといって親や兄弟から悪い扱いを受けているわけでもない

 

むしろそれでも私に対して友好的に接しているのはなぜだろう

 

特に母親は私に対して物を買おうとしたり、

イベントに誘ったりする

 

就職に関しても知り合いを紹介するなどサポートが手厚い

(養うことにならないようにしたいのかもしれないが)

 

そういった優しさに対して私はとても不思議に思う

 

投資対象として子供は正直言ってギャンブル性が高いと思う

 

現代においては特にそうだ

 

個人の時代と言われ、自助努力で何とかするという思考を持った人間に

助けてくれと頼むのは難しいと思われる

 

私に対しても優しくしたからといってその優しさが返ってくるとも限らない

 

むしろマイナスの印象が強いため

介護などしてやるものかと考えているくらいである

 

不安要素を家族意識で払しょくするのは個人の時代では難しい

 

それでも家族に優しくする価値はあるのだろうか

 

私は家族に優しくすることで家族内での扱いをよくしてもらう

 

要するに共同体、コミュニティーの中での生存率を高めるため

日々の行いをよくしているわけである

 

それは私のコミュニケーションにおける最重要項目であると

この文章を書いている際に頭で結論付けられた

 

私は人が怖い

 

言葉と態度とは裏腹に何を思っているかわからない

 

私のいないところで、私に見えないところで

 

私に対してよくないことを行っているのではと常に疑心暗鬼である

 

それゆえ争いを避け、人からの評価を少なくとも無害で保とうとする

 

これを幼少のころから家族に対して行っていた

 

特にひとり親であるから母親に対しては力をいれて行っていたと思う

 

優秀であるようにふるまい、可愛いと思ってもらえるような行動をとる

 

それにより叱責を避けていた(教師からは怒られることもあったが)

 

そういった生存戦略を長い間とっていたため

現在の私にも染み着いているのだろう

 

話がそれた

 

家族が私に優しくする理由

 

子供だからという理由はあまりピンとこない

 

必要最低限育つまでにリソースを割くという手もある

 

しかし、私の親はどう考えても必要最低限とは思えない

それ以上の援助をしようとしてくる

 

それが私は納得できない

 

親はお金がないだとか、家計がやばいだとかいう

 

私は親の給与や支出を管理しているわけではないのでその言葉を鵜呑みにする

 

それでも親から「〇〇買ってあげようか」など言われる

 

金がないという話は嘘なのだろうか

 

私は親の意図も発言も全くわからない

 

それを優しさと受け取っているがそれですら私の思い込みである可能性も高い

 

人の優しさも善意も裏が見えないと信用できない

 

私でも安心できる裏を提示してくれる(または嘘でも裏をみせてくれる)

そういう人にしか安心できない

 

何処からこんなにものの見方がひねくれたのだろう

 

家族の善意をこうもねじ曲がって解釈する人間に成長してしまった

 

母さんごめん

私は社会で生きるのに向いてなさそうです

 

ひねくれた考えと、モノの見方と、etc

 

私が家族という共同体に疑問を抱くのは

自分がねじ曲がっているからなのだろう

 

あなたの家族はどうだろう

 

あなたに対して何か得になることをするだろうか

 

はたまた損になることをするだろうか

 

それはなぜそうしているのだろうか

 

ひねくれた人間のひねくれた疑問で自身の身の回りを当たり前と思わない

私の疑問を種として考えてほしい

 

私が少しでも報われたいというエゴを満たすために